断捨離の極意とは。なぜモノが捨てられないのか

断捨離の極意とは。なぜモノが捨てられないのか

私はそれほど物欲は強くありませんが、全くないわけではありません。

服だって、よく吟味した上で自分の好みとピッタリのものがあれば、値段なんか気にしないで買っちゃいます。

ただ、そうやって買っていく一方で、同じくらい「捨てる」ことに対してもよく吟味して、思い切って処分するようにしています。

あなたはなぜ捨てられないのか

物を買うとき、商品の対価としてお金を支払います。これはほぼ等しい価値のあるものとの交換ですから、手持ちのお金は減りますが同等の価値のあるものが手に入ります。

別にこれに対して異論はないと思います。

これに対して捨てるというのは、(購入したばかりの時と比べると価値は下がっているものの)目の前に存在しているモノ、何かしらの価値があるモノを手放すということです。

見返りに、目に見える何かが手に入るわけではありません。

しいて言うなら、クローゼットに服1着分のスペースが手に入る というふうなメリットがあり、私はこのメリットに凄く魅力を感じますが、結局は言い方を変えれば目の前から服が1着なくなっただけども受け取れますね。

買うときは失う代わりに何かを得るのに、処分するときは何も手に入らないわけです(リサイクルショップなどを利用すれば雀の涙ほどのお金は手に入りますが)。

だからほとんどの人はモノがなかなか減らないんじゃないでしょうか。

そういったモノがなかなか減らせない心の状態を もったいない という言葉で正当化してしまっているようにも思います。

捨てること前提でモノを買うという大切な考え方

確かにむやみやたらと捨てるのは、ものを粗末にしている場合も大いにありますが、冒頭の写真のように袖がボロボロになった服を着て外に出るのはいかがなものかと思います。

実際、これは今でもパジャマがわりに着ていますが、着るたびに妻からは「いつ捨てるのか」と言われます。なので今回はこれを手放しました。

そしてこれを捨てることを前提にして新しい服を買います。他にも、、、

穴が開いて本来の機能を果たせなくなったウィンドストッパージーンズを、同等の機能を持ったモノと置き換えましたし、、、

洗濯しすぎて縮んでしまい、MサイズのはずがSサイズになってしまっているネルシャツを、新しいものと置き換えました。

別に同じようなものと置き換えるつもりはなかったんですけどたまたまです。

こうやって古いもの、処分するに値するものとの交換であれば、モノが増えすぎることはありません。

古い服は、おそらくリサイクルショップに持ち込んでも値段がつかないモノだと思うので、スーパーの入り口付近によく見かける、古着回収ボックスのようなものに投入しました。

断捨離の名のもとにムダにしてはいけない

モノがないから断捨離してるってわけではありませんし、それが偉いわけではありません。

何度もこのブログで書いていますが、自分でも把握しきれないほどの多くのモノに囲まれた生活や、全然気に入っていないモノを使ったり所有し続ける生活ではなく、ある程度厳選して気に入ったものや良いものを長く使うというライフスタイルは人生を豊かにするということです。

その一環で、溢れんばかりのモノに囲まれた状況から脱却するために吟味して処分することが必要になってくるわけで、その必要性を感じないのであれば、敢えて行う必要はありません。

ただやみくもに捨てまくるというのは、何も得ることのない、ただのムダってことですからね。

それに気に入らなければ処分するっていうスタンスは、買い物をするときに「あとで捨ててムダになるなんてことはないかな?」と衝動買いにブレーキをかけることにもつながります。

なので、持っておいて損はない考え方ではないかと思います。

今回は私も久々に服を買いましたが、そのぶん捨てることをしました。相変わらず私のクローゼットは快適な空間を確保しています。

モノで溢れた空間に嫌気がさしている人がいれば、ぜひこういった考え方を思い出してみてはいかがでしょうか?

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