勉強というのは勉強することそのものが目的ではなく、その結果がどうなるのかが大切

   

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私が、前からすごく違和感をを感じていたことに、「勉強する」ということの定義があいまいだということがあります。

ググって調べてみても、一応の定義がはあるものの、解釈は人それぞれだったりします。

ここでは、自分の考える勉強というものについて、実例を交えながら言語化しておこうと思います。

自分と全く関係ない分野の学会や講習会

たとえば、私が専門にしていることの中に、「糖尿病」というものがあるとします。糖尿病といっても、薬物療法、食事療法、運動療法などと分野は様々であり、それぞれにまた細かく細分化された専門領域があります。

それぞれに専門家と言われる人が存在していますが、専門外の領域の話は、聞いてもほとんど理解できないし、臨床でその知識をガンガン使うかというとその限りではありません。

結局、医療従事者として知っていればカッコいいという程度のものだと思います。

もちろん薬のことや食事のこと、運動のことについて、専門外ではあるものの知っていて助かったというケースもありますが、努力に見合うほどの結果が実感として伴っていないというのが実情ではないかと。

せっかく時間や労力・お金を投入しても、結果が伴わないのであればやる気は薄れていきます。

私が考える勉強は、やはり学んだことが実務に直結するようなことを優先すべきではないかと思うのです。

そういう観点からいうと、自分の関係する分野からかけ離れた分野の勉強会というのは、勉強ではないとはいえませんが、優先順位を考える必要があると考えます。

自分のレベルより極端に低かったり、知っている内容を再び話すようなイベント

幼い頃から、予習・復習という考え方があり、それぞれに立派に勉強であるというふうに言われています。

そういう観点から捉えると、いま自分がいる位置から考えてレベルが低かったり知っている内容をを再び話すような講演会やセミナーというのは、立派な勉強であると思われます。

また、そういった講演会やセミナーであっても、意外と新しい発見が一つや二つはあったりします。

そう考えると毛嫌いせずに参加してみる価値があるようにも思います。

自分を一歩上に押し上げるためには新しい知識をや技術を習得することのみにとらわれがちですが、盤石な基礎があっての話でしょう。

そういう基礎を固めるという意味でも、参加することに大きな意味があるようにも思えますね。

定期的に本を読むのは勉強なのか

よく、1日1冊は本を読みましょうというようなことを言われます。もちろんそれも立派な勉強だとは思うのです。

でも勉強って、その先に得られるだろう何かが大まかにでも見えていないと意欲がわきませんよね。

この勉強をすることで自分はこうなれそうだという具体的なイメージがわかないと、逆にこの本を読んでさえいれば自分は勉強しているということになるはずだという、あたかも勉強している自分を演出して、そういった自分を確保するために本を読むという本末転倒な結果になりかねません。

いわゆる、勉強は手段か目的かという議論に発展していきます。

もちろんいうまでもなく、勉強は手段であり、目的であるべきではありません。

なによりも勉強を目的にした勉強だと、モチベーションが長続きしませんからすぐに飽きてしまいます。

私も過去にそういう目的で大量の本を買いあさり、ほとんど読むことなく古書店に売りにいった経験が何度もある一方で、何度も熟読していまも手元に残している本もいくつかあります。

そういう本って、何度読み返してもその時の自分のレベルに応じた新しい発見があったり、向上させてくれる自信を与えてくれたりするんですよね。

具体的な結果をイメージして勉強することで定義は自分の中に生まれてくる

ここまで、勉強というものの定義について書き進めてきましたが、結局は定義にそのものが無意味なものだという結論に到達します。

定義に沿った勉強をしていれば正しいのか、間違っているのかという議論そのものが無意味だからです。

勉強というのはそれだけで多くのエネルギーを消耗します。別に運動したわけではなくても、半日勉強していればお腹が空くし頭はフラフラしてきますよね。

それだけの情熱を注いで行うものであるのだから、予習だろうが復習だろうがレベルが高かろうが低かろうが、定期的に本を読もうが技術を練習しようが、もう全てが勉強です。

それを行うことで、自分の中に何かしらの変化をもたらしてくれるものは全てが勉強です。

ともすると、意図的に勉強しようと思わなくても、結果として勉強になっているということもあると思いますし、そういった経験をしたことがある人も多いでしょう。

逆に、自分の中になにも変化が生まれなかったというのであれば、それは勉強にならなかったということでしょうか。

ポジティブに考えれば、なにも変化が起きないということがわかったということで、これも立派に勉強になっているでしょうね。

ただ、わたし的にはそれは勉強にならなかったと受け止めてしまうでしょう。変化を求めて勉強したのに変化が生まれなかったのですから。

というふうに、勉強とはという問いに関する答えというのは、人それぞれに違うものであり、他者から与えられるものではなくて自分の中に生まれてくるものなんだという結論になります。

私の場合であれば、「自分が今いる場所から高いところへ到達させてくれる、合目的的な行いは全て勉強である」ということになります。

あまり勉強というものを定義することに意味はありませんが、かといって勉強という名のもとに何でもかんでも手を出すというのも大幅な回り道になりかねません。

自分の中に湧き出てきた勉強というものの意味を言語化してしっかりと大切にしていきたいと思います。

Posted by 愛媛ブロガー Atsushi(@Atsushi_k0

 - 雑記

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