当たり前のことですが、誰もがストレスフリーな人生を欲しがります。このストレス社会においては別にこれ以上のストレスなんて欲しくもありません。
※ストレスという言葉にもいろんな解釈があるので、ここではメンタル的なストレスのことを言います。
でもそんな想いとは裏腹に、大多数の人々は日々ストレスフルな人生を送っています。このストレスから解放されるにはどうすればいいのでしょうか。
実は、ほとんどのケースで 相手への過度な期待があり、それが裏切られた時にストレスを感じる と解釈できるのです。
こう考えると、コントロールできない相手に原因を求めるよりも、自分の解釈を変えるだけで怒りが収まりやすくなり、過ごしやすくなるんじゃないかと考えられます。
もくじ
ストレスの原因は相手への過度な期待
ストレスというものはいろんな解釈ができますが、結局はそれを「ストレスだ」と感じるのは自分です。
同じことを言われてもストレスに感じない人だっているのですから、こちら側の感じ方一つでそのストレスをなかったことにできます。
多くの場合、イライラする時って相手に無意識に期待していることがあって、それが思い通りにならなかった場合が多いのではないでしょうか。
いくつかの例え話を以下にお示しします。
相手が人の場合
自分の上司に提出した企画書について、上司から猛烈なダメ出しがあった場合、ムカッとすることがあります。
こちらとしては、すんなり企画が通るという期待があって、その通りにならなかったということが原因です。
そうではなくて、怒り方に問題があるという場合でも同じです。「的確にダメな箇所を指摘してくれて、もっとやる気が出るように鼓舞してしてくれるようなダメ出し」というのを期待していませんか?
それが実際は、頭ごなしに叱責され、期待とかけ離れているという点がストレスの原因でしょう。
相手が物の場合
組み立て式の家具が、すんなり組み上がらずにイライラする。
ギャンブルに勝つという期待に対して、負けるという結果にイライラする。
動画サイトがスムースに閲覧できるという期待に対して、通信速度が遅く、たびたび止まるとイライラする。
いろんな場面において、人だけではなく物に対しても我々は無意識に結果を期待しています。
そして期待通りにいかないということに対して不満を感じ、それがストレスとなります。ほとんど全てにおいて当てはまることです。
相手が子供の場合は要注意
子供って、、、カワイイ。
でも親の思い通りにはなりません。それは大人でも子供でも、上司でも友人でも恋人でも同じです。ただ、子供に特有のこととして「無知」があります。
私の娘は1歳6ヶ月(記事執筆時点)ですが、まだ人生の経験値が1年半しかありません。
やっていいことと悪いことの区別とか、これをやっちゃうと場合によっては命に関わるような大怪我をしますとか、一般的にこういったフォーマルな場所ではギャン泣きはご法度ですよ、とか。
分かるはずもありませんが、我々はすでに大人になり、それらの判断が可能なのです。無意識にこちらの物差しを子供に押し付けていませんか?
静粛な場面で泣く。
それを泣き止ませるために怒る。
更に泣く。
この悪循環は愚の骨頂ですね。こちらの判断基準でしか子供を見ていないという典型的な例です。
解決策は「過度な期待を持たないこと」
あたりまえですが、過度な期待を持つから裏切られた時にイライラするのです。
たとえば、我が家では家事はほぼ半分ずつ夫婦で担当しています。ところが、妻が子供を寝かしつける時に一緒に寝落ちしてしまいます。
よくあることですねが、そうするとその後に妻がやる予定であったタイマー炊飯の準備、洗濯や掃除、翌日の子供の弁当の準備などの作業が、私の作業である食器洗い、風呂そうじ、洗濯物を干すといった作業に上乗せされます。
「なんで俺が(怒)」
となりそうですが、そもそもこのケースだと、子供にすんなり寝てほしいという期待が外れたから、妻が最終奥義である「寝たふり」をお見舞いしているということと、妻は一度寝るとまず起きられないほど病的に眠りますので、すんなり起きてほしいと思っているのにその通りにならない、という2つの期待が複雑に織りなす悲劇なのです。なので私の最近の心境は、、、
なんだ、またか(笑)
です。あまり期待せず、もし子供がすんなり寝てくれて、妻が布団から復活してくれればラッキー、くらいに考えるようにしてから心の負担はかなり軽くなりました。
もとから自分がやる予定だった全ての家事が、幸運にも起きてきてくれた妻の活躍によって負担が半分になったのだと考えるとラッキーではありませんか。
ストレスは感じる人の心ひとつで軽くも重くもできる
上司に叱責されても、それは音波刺激が空気中に漂っているだけです。
組み立て式の家具がうまく組み上がらなくても、そこにパーツが散在しているだけです。
子供がわがままをいっても、よく見られる光景がそこに広がっているだけなのです。
それを良いようにも悪いようにも解釈するのは自分です。
ストレスフリーな生活のためにはそこにある情報をネガティブに受け取るかポジティブに受け取るかによる違いだけなのです。
最初はすごく時間がかかると思いますが、必ずそのアクシデントがあった時に我にかえって自分を見つめ直し、「そうか、私が過度に期待したのが間違いだったのだな、ふふっ(笑)」と鼻で笑えるようになります。私ができたのですから。
世の中の全てのストレスがこれに当てはまると同時に、場合によっては鼻で「フフッ(笑)」と済ませたのではダメなケースもあります。
命に関わる場合とか、重大な社会的責任を果たせなくなった場合などの大惨事では必ずしも当てはまることばかりではありません。
でも些細なことで積み重なるストレスはこれで十分対処できると思いますので、日々の暮らしに是非とも取り入れてみてほしいと思います。
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