
私がヨガと出会ってもう10年以上になりますが、ここ数年でヨガについてより深く知りたいと思うようになりました。
成書を読んで知識を得ようと読み漁ったこともありますが、やはり師と仰げる人をみつけて、その人の指導のもとで学ぶことの方が得ることが多く、着実に身につくと実感しています。
それはつまり、 知ることとわかることが大きく違うものである ということに起因するのだと思います。
「知る」ことは「知識を得る」こと
たとえば、ヨガのアサナ(ヨガのポーズのこと)を新しく知ったとします。この調子で、たくさんあるヨガのアサナをいくつも知ってくると、他の人にヨガについて説明するときに格好はいいです。
でも、それにはまだ実体験が伴っていません。そのアサナについてよく知っていても、一度もそのポーズに挑戦したことがないのであれば、単なる頭でっかちということになり、その知識だけで人に伝えることはできません。
もちろんその物事について深く知るということは非常に大切なことに変わりはありませんが、それを知った上で、しっかりと「わかる」ことが必要になってきます。
「わかる」とは実体験を伴うこと
そのヨガのアサナが「わかった」状態になると、人に伝えるのに十分な理解があるということになります。
経験を伴ってしっかりと自分のものになっているということであり、そのアサナについてはしっかりと理解していることになります。
こうなると、相手がこのアサナをうまくできなかったときに、なぜできなかったのかがわかり、改善点が見えてきます。そしてそれは自分自身に対しても言えます。
ヨガとは結局は自分自身との対話ということになりますから、自分でヨガの学びを深めている時でもなぜうまくできなかったのかを自分自身で考察することができ、学びを深めることができます。
まず「知る」こと、そして「わかる」ことへ進んでいこう
ヨガを始めたいと思う人が、DVDや本を見ながら練習していて、しばらくしてからスタジオに行ってみると、それまで練習していたことと全く違う、別物だということに気がつくことがあります。
やはりスタジオにはDVDや本では学べない何かがあり、それを五感をフル活用して体験しているからではないでしょうか。
かといって、なんの知識も持たずにスタジオに行っても(それはそれでいいのですが)、知らない言葉やアサナの名前を連発されて、何のことかわからなかったという経験をすることになります。
実際私がそうでしたからね。
まず「知る」こと、そして「わかる」ことへと進んでいき、その先はさらにあらゆる感覚を総動員して深く上質な学びへと進んで行く。
自宅でもわかるまで繰り返して練習すること。
これこそがヨガの学びの真骨頂ではないでしょうか。