「木を見て森を見ず」の反対語は「森を見て木を見ず」ではない
2017/07/05
同じ職場で仕事をしている後輩を見て気がついたことなのですが、局所に注目して観察している状態で視野が非常に狭くなっていることがあります。
「局所を観察しているのだから当たり前だ」と言われそうですが、それだけではいけませんよね。
ということでその後輩に注意したところ、驚きのリアクションが返ってきました。
森という局所にこだわっていないか
全体像を把握するのみで細部に注意が行き渡っていません。これも当たり前のように見えますが実際はそうではありません。
つまり「木」だろうが「森」だろうが、そこだけに注意を集中しすぎて周囲に意識が向いていないということが問題なのです。
集中して仕事をしているということはいいことですが、周囲で起こっていることも把握しなくてはいけません。
つまり注意を分散しておくということ。これは「注意が散漫なこと」とは違います。
目の前のターゲットに集中しながらも周囲の状況を把握することはなかなか容易なことではありませんが、是非とも身につけてもらいたいスキルです。
「木も見て森も見る」をうまく伝えるには
一言で言うなら 木も見て森も見る ということなのですが、そう伝えたところでうまく伝わらないでしょう。
分かりやすく例えるなら 車の運転 などはいい例です。前方の車の状況や歩行者に気を配りながらも信号が黄色や赤になると無意識にブレーキペダルに足が動きますよね。
別に走っている道路の全ての信号機や歩行者に対して、完全に視線を移して注目してしまい、すべてを確実に認識してやろうなんてことはしないはずです。
逆に道路の車の走行のみに集中して、信号機や歩行者を完全に無視している人もいないでしょう。運転中は 木も見て森も見る ということを無意識に実践できているわけです。
これは運転に集中していない 注意散漫 な状況とは違います。信号機や歩行者にも道路の交通にも、その他にもいろんなところもしっかり認識しつつ、注意をさまざまな方向に分散しているという状況が無意識に身についているんですね。
仕事でもその他のことにおいても、私が目指して欲しいのはここなんですよ。車の運転ができる人なら習得できるはずです。
私もこのお話を先ほどの後輩に言って聞かせました。なんとなくイメージはできたようなのですが、本当に理解して実践できるかどうかはわかりません。
さて、後輩の行動が明日からどう変わるのか楽しみです。
Posted by 愛媛ブロガー Atsushi(@Atsushi_k0)
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Comment
細部と超俯瞰の極端な見方をしています。
森と木を見るのは秘書をはじめ他人に任せています。
コメントありがとうございます。
置かれた立場や言葉の解釈によりいろんなものの見方があるんですね。
「木を見て森を見ず」という言葉の反対語は、「木も見て森も見る」というふうに書いていますが、「森を見て木を見ず」というのが完全な不正解ということでもないでしょう。
いろんなものの見方や解釈ができれば、それが一番よいことなんでしょうね。