
私の周囲には、その日の機嫌の良し悪しによって、周囲への対応がガラッと変わってしまう人が意外に多いです。
もちろん、日々の生活の中にはいいことがあったり悪いことがあったりと一定ではありませんし、それによって一喜一憂してしまうのは仕方がありません。
ただそれを包み隠すことなく、公の場であからさまに表出してしまうのは人としてどうなんだろうと思っていましたが、これはなにも他人事ではありません。
ゆとりがないといくら取り繕っても子供に伝わる
私の娘はまだ2歳になったばかりですから、物事の良し悪しの判断はできませんし、それを無理やり教え込むべき時期にも到達していないと思っています。
ただ、仕事やプライベートで嫌なことがあった場合に、無意識に子供に笑顔で接していなかったり、ちょっとしたミスを責め立てたりすることがありました。
常に笑顔でいられる家庭をつくっていこうと思ってはいるのですが、その余裕が全くなくなってしまいました。
またある日は、そこまであからさまに態度には出さないように自制できましたが、どうしてもちょっとした表情の曇りとして表に出ていたようす。
子供に直接何かをしたわけではないのですが、その日は子供から弾けんばかりの笑顔は息を潜めていました。こちらの顔色を伺うような切なそうな顔をして、、、。
私は子供の笑顔を無言で奪っていたんですね。
子供は親が思っている以上に、その場に漂う空気感に敏感です。
直接叱ったわけではなくても、今から叱られるという空気を察知してしょんぼりしちゃうことってありますよね。
叱ること以外でも、親が元気がないときに作り笑いで対応しても、子供には伝わってしまいます。2歳ほどの幼い子供でもです。
心にゆとりがないと仕事にも影響する
仕事で嫌なことがあったらプライベートに影響するのと同じく、プライベートで悩み事や嫌なことがあった場合は仕事にも影響します。
こう考えると、仕事もプライベートも完全に分けて考えるなんて至難の技だなって感じます。特に私は悩みやすい性格のようですから特別なのかもしれません。
仕事とプライベートを完全に分けることは、他の人にとっては案外簡単なことなのかな?
私は、なるべくその日の仕事の最後やプライベートでの寝る前には、なるべくポジティブな感情を抱いて終えるようにしています。
ここでヨガが登場すべきなんでしょう。呼吸瞑想とかしながら気持ちをニュートラルな状態に戻す。
ストレスコントロールとしてのヨガは、その成り立ちから考えても適材適所なのでしょう。
しかし私は修行が足りないのか、そこまで気持ちを切り替えることができません。まだまだ「ヨガは心にゆとりがあるときにするもの」というスタンスであり、本末転倒な状態です。
ゆとりを持てるように仕組みを考えたり試行錯誤する
自分のストレスの正体や、腹が立つときの心境を内観してみると、ある種のパターンのようなものがあることに気がつきました。
私がこの先も家族や周囲の人に優しく接していくためには、ストレスを受けても解消できる手段や、そもそものストレスが発生しない仕組みを可能な範囲で構築していくことが大切だと実感しました。
まずは自分をもっと内観して、ストレスというものの正体と向き合うことに意識を向けたいと思います。
まぁ、だいたいは 自分が相手に過剰に期待してしまっており、その通りにならなかったときにがっかりすること なんですけどね。
何にせよ、ストレスを溜め込んで自分に余裕がないときは、いくら妻であっても娘であっても優しくなんてできません。
自分の心のコンディションを整えることをもっと重視しつつ、苦しい時でもあからさまに表現してしまい、その場の雰囲気を壊すような野暮な真似だけはしないように心がけたいと思います。