アパリグラハな生き方とは貪らないことと欲張らないこと

アパリグラハな生き方とは貪らないことと欲張らないこと

昨今の風潮であり、私が常に違和感を感じていることとして、好きなことだけやって生きていく というのがあります。

先日もこのブログで触れましたが、結論として好きなことだけやって生きていくという状態は厳密にはあり得ないし、好き嫌いという感情に支配された生き方が本当に自由意志に基づいた生き方であるはずがないという考えに至りました。

好き嫌いという感情はヨガにおいても取り上げられる大きなテーマです。今回はタイトルにもあるように「大好きなケーキを3つ食べてみる」というエピソードを通してわかることを踏まえて好き嫌いという感情についてお話しします。

「好き」は行き過ぎれば「執着」を生む

たとえば、あなたが大好きなケーキを食べることができる大人気のお店に、奇跡的に入店できたとしましょう。別にケーキじゃなくてもいいです。私はカレーが好きだという人はそれに置き換えて考えてみてください。

以前からどうしても食べたくて食べたくて憧れ続けてきたケーキを注文して、今まさに一口目を口に運んでいます。

当然、めちゃくちゃ美味しいですよね。

あっという間に完食してしまいます。美味しかったですね。

さて、大人気でなかなか入店できないお店で憧れのケーキを食べたのですが、せっかく来たのでもう一つ食べてみてはどうだろう。

一緒に入店した友人の勧めもあって、憧れのケーキをもう一つ注文しました。

先ほどと同じケーキですが、当然美味しいに決まっています。甘いものは別腹ですし、何個食べても美味しいに決まっていますね。

こちらもあっという間に完食してしまいました。

すると友人はさらにこう言います。

「次はいつ来られるかわからないし、来られたとしても目当てのケーキが食べられるかどうかわからないんだから、悔いがないようにもう一つくらい食べてみてはどうだろう」と。

そして目の前にはまたまた同じケーキが登場しました。注文したものですから当然たべるのですが、、、。

別にお腹がいっぱいというわけではありません。甘いものならいくらでも食べられます。でも、いくら好きなものだからといってもさすがに同じものが3つ目となると、、、どうですか?

最初の一口目のような感動はさすがに感じられないのではないでしょうか。

人間ですから当然、好き嫌いという感情はあります。それそのものは人間が生きる上で必要なものですから否定する気はありません。

しかし好きという感情も過ぎれば「執着」を生み、自分を苦しめます。好きというポジティブな感情が、最終的には自分の首を締める結果となるのですね。

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自分は努力次第で変化できる

先ほどのケーキの例で言いますと、3つのケーキはいずれも同じものです。品質に全く差はありません。

なのに、最初の一口目は感動に打ち震えるレベルであったにもかかわらず、最後の一口はどちらかというと感動は薄れてしまっているのではないでしょうか。

何度も言いますが、同じケーキです。いったい何が変わってしまったのでしょうか。

当たり前ですが、変わってしまったのは自分自身の感情です。逆に考えると、自分自身の感情が変化すれば、大好きなケーキもそれほど好きではなくなってしまうのです。

好き嫌い、幸せや不幸、得意なものや不得意なもの、あらゆる感情は、自分自身が脳の中で生み出しているだけのものに過ぎません。

目の前の事象は同じでも、感じる人の心理状況でポジティブにもネガティブにも変化するものなのです。

現代社会はストレス社会です。自分の思う通りの生き方なんてなかなかできないものです。でもそれは、自分ではなく周囲を変化させたり、周囲が変化することを望んでいるからではないですか?

他人や周囲の環境はなかなか変化させることができません。でも自分なら、、、どうですか?心がけひとつで変化させられるんじゃないですか?

少なくとも自分が変化する方が容易であるということは想像の通りでしょう。他人は思い通りにできませんが、自分なら思い通りに変化させられます。だって自分の感情なのですから。

これは、ストレス社会をいきていくうえでも大きなヒントになると思います。

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周囲に不満を抱く前に、自分がどのようにそれを解釈しているのか考えてみよう

すごく不愉快な出来事があったり、不愉快な人と出会ってしまった時に、感情に任せて 好き嫌い だけで判断してしまうのではなく、なぜこのようなネガティブな感情が芽生えてしまったのかを考えてみましょう。

冷静に判断して、そんな自分を客観的にみてみましょう。

嫌いという感情は、行き過ぎれば 憎悪 を生みます。最終的になんでその人のことが嫌いなのかという根本的なところを無視して、嫌いだという感情に支配されてしまいます。要するに 嫌いなものは嫌いなんだ! という状態ですね。

冷静に分析して判断することができれば、不愉快な出来事にもそうなってしまったしかるべき事情が隠されているかもしれません。

不愉快な人に出会っても、その人が救いようもない愚か者ではないということに気がつくかもしれません。

そうすれば、自分の中にあるネガティブな感情をある程度は落ち着けてポジティブな感情に置き換えることができ、ストレスが緩和されるかもしれませんよね。

起こった出来事や相手の人格は変化したわけじゃないのに、自分の気持ちを意識的にコントロールすることで全く違った結果を得ることができるようになります。

実感を伴えば心にスーッと入ってくる

記事のタイトルにあるのは、単なるたとえ話ではありません。状況が許すのであれば、自己責任において実際に同じケーキを3つ立て続けに食べてみて、その時の自分の心境の変化を感じてみてほしいと思います。

実体験を伴った感情というのは、なにものにも負けない説得力が宿ります。

まぁ、やる前から結果はある程度想像がつきますけどね。

でも、ある程度想像がつくということは、過去に同じような経験があるから想像ができるわけですよね。経験したことのないことは想像できないわけですから。

何事においてもそうですが、答えは自分の中にすでに存在しているのです。ただ、それを必要な時に必要なだけ引っ張り出してくることができていないだけなのかもしれません。

それを自由に引っ張り出してきて、生活の知恵として活かしていくことができるようにするためにも、今回の3つのケーキのエピソードは役にたつ知見ではないかと思うのです。

自分や相手を客観的に観察して、いい方向に自分を変化させられるようになりたいものですね。

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